洋服屋の頃

Irinaka Story

Vol.8 "バッティング"

【独り】

独りになった日、襟を正してお店に立ったが、寂しいね。やっぱり。
コギちゃんを慕ってくるお客さんにも、頭が上がらないですよ。
でも、お客さんが来れば明るい顔をして話さなきゃならんしね。
一日も早く、コギちゃんがいい仕事に就くのを願ってました。

そんな中、気を使ってよく遊びにきてくれるお客さんもいて、とくに印象的だったのは、もともとコギちゃんのお客さんで、季節に一度来てくださるご夫婦の方がいて、その事情を話した時に奥さんが、
「辛かったね」 と言って、オリジナルの服を買っていってくださった事です。
コギちゃんに辞めてもらわざるを得なかったことを、自虐的にすら思っていたので、すごく救われました。涙ウルウルです。

こうして、永い独りの日々が始まりました。

【BT CAFE/ZAC PAC】

夏になると、ボクの店の正面に一軒のカフェが出来ようとしていました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、SOUL MUSIC BAR「 BT CAFE 」です。

当時、ソウルマスターズ・カフェというクラブがあり、そこの看板DJ「アキラ」さんのプロデュースによる、10坪くらいのバーです。
気のいいTAKEマスターともすぐに意気投合し、その頃、これまた近所の雑貨屋さんで「 ZAC PAC 」というのがあって、そこの店長さんと一緒に「BT CAFE」のオープンを楽しみにしていました。

雑貨屋に洋服屋にバー、いいカンジだと思いません?

なんだか、人の流れが変わる気がしてウキウキしましたね。

でも、実際は売上は落ちる一方です。
延々と続く独りの時間と、伸びない売上、やる気満々のBTのマスターとウラハラに、少しづつ自分のモチベーションが下がりはじめてきました。

よくBTでみんなお互いのお店の状態を語りあったもんです。
飲んでる席で解決案が浮かぶほど、商売甘くはないんだよな~。

でも、イカンね、そういうの。
そう、、あそこも売れてないのか。。。ぐびっ 」などと、ビール片手に話していても、何の解決にもならんし、みんな同じなら仕方がないな。。などと馬鹿な事を思ってしまう。

家に帰っても、ず~~~っと考えてました。どうやったら人が集まるかって。
桃栗三年柿八年なんでしょうか。。。
広告などに投資する余裕もなく、商品を沢山仕入れる余裕もなく、人が来るのをただじっと待つしかない事(それしか浮かばない事)を絶望的にすら思えてきちゃいました。

その中で貧すれば鈍するという言葉に当てはまらないよう、以前からはじめていたコンピュータの勉強を、とにかく我武者羅にしました。
それが「 何らかの解決への唯一の方法 」と思えたので。。
すごい勢いで勉強しましたね。まさしくワラにもすがる思いで。
その知識・技術がホームページに役立ち、結果的に多くの雑誌に紹介されるネタ元になったのです。
(もっと言うなら、その日々の積み重ねが、ご周知の通り現在に至るわけです。)

【中日新聞】

夏の終わり頃、東海地区の方ならほとんどの方がとっている「中日新聞」の関係者の方より取材のオファーがありました。

夕刊のとあるコーナーでボクを紹介したいとの事。
そりゃ嬉しかったですよ。どうやってボクの事を知ったのかは分かりませんが、
見てくれてる人は見てるんだなぁ 」と思えますよね。

1時間半もインタビューを受けたのは生まれて初めての事です。舞い上がってしまって、何言ってるか分け分からずでしたが、ライターの方が上手にまとめてくれました。さすがです。

9月の初旬に掲載 されるということで、嬉しくてみんなに宣伝しました(笑)
そして何より、「これで人がいっぱい来るぞ!」と期待も大いに膨らみました。

(掲載日)

確かにすごい問い合わせです。でもね、何か違うんですよ。集まってくる人が。
中にはボクの事を「先生」と呼ぶ人や、「どれどれ?」ってカンジで挑戦的な勢いで来る人、ボクの事を知らないのにとてもいい事を言って近づいてくる人。。。
中学卒業以来、会いも話しもしない人からメールや電話などが連発と、大変な3日間でした。
え?4日目は? 信じられない話ですが、4日目にはいつものヒマな店に戻ってました。なんだったんだろう?ってカンジですよ。
もちろん、その時に来られたお客さんはほとんど次がなかったです。とは言っても、その3日間もさほど売れたわけではないですが。やっぱひやかしが多かったです。

でも、そういう記事に載ったという事がボクの誇りです。たとえ商売的にしくじっていても、やっている内容やスピリッツが第三者に認められたわけですから。・・・と、ちょっと弱者の言い訳かなぁ。

笑えるのが、近くにいる人ほど記事を読んだ途端、改めて自分に賞賛の目を向けてくれるんですね。いつも近くで見てただろうに。。
(ガキの頃、宿題の絵画をえらく短時間で描いたら、「テキトーに描くな!」と、お袋にこっぴどく叱られたんですが、後にその絵、何かのコンクールで金賞をとりました(笑) そんなもんスね!)

それまでにも、ウチのお店は毎月のようにどこかの雑誌に紹介されたりしていたのですが、いやぁ、露出頻度が高くなって名が売れることと、実際に金が儲かることは別なんだな~と思います。

【バッティング】

夏も終わったある日、とうとう面倒なことが起こりました。
崖っぷちのお店の経営に、背中を押された事件です。

その秋の商品は、恥ずかしながらオリジナルが少なく (作る金がなかったのさ!) 、ちょっと前から取引していた中堅メーカーの商品を中心に仕入れをしていました。

事件とは、ウチの主力で扱っていたそのブランド(もとより商品自体)が、なんと僅か100m先の大型専門店で、ど~んと展開することになったのです。
そう、俗に言う「バッティング」です。

そりゃ、ウチの仕入れ数なんざメーカーからみたら微量でしょうが、その微量で食べてる独りの人間からみたら大変な事でっせ。
しかも、それを担当から聞いたのが、またなんとその大型店オープン 1週間前
倒れたね。。。
さすがに怒りましたよ。でも残念ながら金持ってるところには敵わんのです。
1週間、頭痛すら引き起こすほど考え込みました。。。

そして、10月というのに、お店の6割の商品を返品したのです。
まぁ、担当の子も板ばさみで気の毒と思いましたが、毎月確実に給料の出る彼らと、売れなきゃ飯が食えないボクら事業者とは違うのだ。
結局、担当の上司も詫びに来ないまま、取引が凍結しました。
嫌な話ですね。取引先1社依存のお店や会社はイカンな、まったく。

お店がガラガラになっていく中、大急ぎで次の取引先、商品の手配に東奔西走することになりました。

予想通り、そこにはとても大きな壁があったのです。

つづく



 
 

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洋服屋の頃

名古屋は昭和区に開店した小さなお店が、コットンウールのスタートです。
今ではすっかりWEB屋として認知され、弊社がアパレルだったことを知らない方も多くなりました。
まぁ、「一つの失敗が終わりではない」ってのを体感できたいい機会だったので、ここに残します。

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