洋服屋の頃

Irinaka Story

Vol.4 "ショップ・オープン"

【仕入れ】

開店にあたって やはり気をもんだのが仕入れだった。

オリジナルの商品がメインという形にしたかったのは山々だが、その商品だけで15坪の店を埋めるというのは相当の在庫量になる(そりゃ1アイテムを2,3枚で作ることはできないからね)
よって、店を埋めるためにはどうしてもメーカーなどからの仕入れにも頼らざるを得ない状況だっのだ。

いやいや、これがまた大変、大手や名の通ったブランドなどは、これからお店を開こうとしている名もない人にはとにかく冷たいわけで、現金でその場で支払うといっても売ってもらえないのだ。(イメージとかコンセプトがどうとか言って・・・)
結局 この辺りもコネがものをいう世界なわけで、そこの営業の誰々と面識がある、ないで取引が決まる。もっというなら条件も決まる。(そうなるとコンセプトはあまり重要じゃないみたいね)

何件も電話して、東京まで行って、よーしゃべったけど、8割は門前払いを食らったなぁ。。。なかなか自分の思っている商品を仕入れるというのは大変なのだ。

仕方がないので、少ないながらのコネとそれまでの人脈を使ってなんとか仕入先を増やして、お店の形ができるまで商品を発注完了したのは、ヒヤヒヤのオープン1週間前だった。
たとえコネとも言えど、支払条件はしっかりどこも厳しい。ほとんどがCOD(キャッシュオンデリバリー)なんだよね、取引開始の時は。だから銀行の残高が見る見る減って怖いの何の。

さらにオリジナル商品なんかは、納期がずれてオープン前日上がり(しかも夜)。倒れそうな思いで納品を待った。務めていた工場の協力でかなり少ロットで製産してもらったものの、それでもやはり1型3色120枚などという数のTシャツの山を前に、身震いしたのを覚えている。

とにもかくにも、いよいよ オープンである。

【いよいよ開店】

オープン初日。まさに期待と不安が入り混じる。
こればっかりはやってみないと分からない気分だと思うよ。ホントにたまらんね
「とうとうやっちゃった・・・やめときゃよかったかな」って何度も思ったな。

店を開けたとたん、わんさかと人が来ることを誰もが想像する。当然だよね。

開店。まずは親戚・親・兄弟。まぁ このあたりは想像通りである。
がやがやとひどい名古屋弁で騒ぎ立て、30分ほどで「ご無礼するわ」といなくなる。

さて・・・いよいよ・・・

 

・・・ん・・・

 

 

・・・・・・・誰も来ない・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・え~マジで?誰も来んがや!!

午後2時。誰も来ない。。お店を手伝ってくれてたコギちゃん(小木曽)も相当顔が青い。そりゃ青くもなるよね。開店早々店開けて3時間、誰も来ないんだから。
いや~ホントに誰も来ないのだ。発狂寸前だよまったく、15坪のお店の中を何キロ歩いたことやら。

午後2時半ころ、ようやく一人ご来店!今でも名前覚えてるよ、「林くん」に感謝!

「人が人を呼ぶ」と言うのは本当で、徐々に来店する人が増えてきた(もちろん知り合いや今までのお客さんがほとんど)。なんとか、その後も沢山の人が来てくれて、初日、2日目とどうにか格好がついたのだった。(2日目も昼頃まで来店者ゼロだったなぁ~)

cottonwoolオープン当日、初めてレジを締めて現金を数えた時の感動は今でも忘れられないね。コギちゃんと2人で「おぉ 金だ!!」って(笑)

こうして、前途多難な匂いがプンプンするCottonWoolの幕開けになった。

つづく



 
 

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洋服屋の頃

名古屋は昭和区に開店した小さなお店が、コットンウールのスタートです。
今ではすっかりWEB屋として認知され、弊社がアパレルだったことを知らない方も多くなりました。
まぁ、「一つの失敗が終わりではない」ってのを体感できたいい機会だったので、ここに残します。

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