洋服屋の頃

Irinaka Story

Vol.1 "オリジナルブランド"

CottonWoolというのは、ご存知の方も多いように洋服屋からのスタートでした。
そもそも、独立志向の強い僕的にはいつかはやろうと思っていた起業なわけで、その当時「僕らは夢で飯を食う」なる本にかなり脳みそを汚染されていたのでございます。

オリジナル・ブランドなるものを引っさげてショップを出して、わずか2年で閉めた経緯を、起業を考えている方も、起業してしまった方も、DODAを呼んでご覧になられた方にも興味がある内容だと思いますので、恥ずかしながら数回に分けて紹介させていただきます。(実際、リクエストがありましたし。。。)

エラそうなことを言うつもりはありませんので、あくまでも一経験談(失敗談?)として受け取っていただければ幸いです。

【洋服屋の夢】

「自分の店」を持つ。。販売やってる人ならごく自然に浮かぶ目標でして、しかも「自分のブランド」を立ち上げるというのも、洋服屋の中でもさらに洋服バカにとっては夢に思う目標だと思います。

もちろん洋服屋に限らず独立・開業を目指す人は沢山いらっしゃることでしょう。それに向かって頑張って実現できる人はやっぱりカッコええな~と思いますね。

ま、実現すればしたで継続がそれ以上に難しいんですけど。。。今、うなずいた人!飲みに行きましょう!

【オリジナル・ブランド】

「WivernTailShop(東区泉)」からが、洋服屋暮らしのスタートだった。
僕がオリジナル商品というものに魅力を感じたのももちろんこの店の商品から。
ここのオリジナル商品というのは、正確に言うと「別注」という仕入れ先メーカーさんの企画(パターン)に対して、生地をこちらで選んで作るという手法で、シーズン前になるとメーカーより送られる生地見本を見て、商品にする生地とパターンを選び、数量を決めて生産するというのがその内容だ。
もちろん今もそうだが、ホントにカッコいいものを作っとるんですよ。(たまに失敗もありですが。。。)
オリジナル商品にはWivernTailShop専用の襟ネームもつけられ、他の商品とは一線を画する風味が出る。ん~いいカンジ!ところが、そのうち一つの疑問が出てきた。
「パターンや縫製仕様などもオリジナルでできないのだろうか?」と。
メーカー別注となるとそのメーカーの保持するパターンや加工技術に頼らざるを得なく、そのうち欲が出てきて「この生地でああいう形ができればいいのにな~」などと思うようになってきたのだ。

その疑問を抱え、縫製工場へ転職。
生地には大きく織物と編み物の2種類があって、さらに編み物の中には丸編み、横編みがある。丸編みといっても何のことかと思われる方に説明しておくと、いわゆるカット&ソーのこと。編み立ての形状が筒状に編みあがることから丸(筒)というわけで、後者の横というのはセーターなどのジャガード機などでパーツ毎に編みたててできるものを指すのだ。
とくにそれを狙ったわけではないのだが、ふいに丸編みの商品を扱う工場へ就職することに。

で、その工場が生地の裁断から縫製、プレスまでを一貫して行う工場でして、製品の作られる道筋の中核となる部分を体感できる環境だったのは、今思えば非常にラッキーだと思う。
服の生産現場というのは家内手工業などに支えられている部分も多く、多くの職人さんにどやされながら服作りの裏側を勉強した。いや、せざるを得なかった。

外回りのない時は裁断の手伝いや、縫製の手伝いをしていたのだが、生地を縫い合わせている現場をまじまじと見て、自分もやりたくならないわけがない!
ということで、ある日ミシンを購入。給料1ヶ月分が飛んだが、まぁまぁ。。

会社の人に「僕もミシン買って服つくりたいんスよ!」ってのはちょっと照れくさかったし、万が一、頭ごなしに「ムリムリ!」とか言われるのもイヤだったので、事務所にあるパターンをこっそりと研究して、自前のTシャツを解体することからスタート。
さりげな~く社長に「余った生地ちょっと貰っていいッスか?」と余り生地を貰い、さっそく第一号Tシャツの”見よう見まね制作”を始めたのだ。
今考えたらかなり強引(全て本縫いだった)な縫製だったが、なんとか2日がかりでTシャツ1枚を縫い上げた。感動!

何気にそれを着て会社へ。
やっぱり会社の人には照れくさかったので、仲のいい家内手工業の職人さんに、こっそり「これ作ってみたんですわ」と告白すると
「おぉ うまいがや!どれ、みんな本縫いか!家庭用のミシンで本縫いなら下糸にウーリー糸を使うとええぞ!」と涙が出るようなアドバイスを貰ったことを覚えている。
それから、楽しくなって数枚立て続けに作り、その職人さんも
「おぉ また新作か。」という具合で面白がって、技を色々教えてくれた。

ある日、その職人さんに
「製品になるような物を作るには何年くらいかかるんスかね?」と尋ねると意外な答えが返ってきた。
「必要最低限の縫いが出来るミシンを使って、丁寧に縫えばそんなもんすぐに誰でもできるわい」
「え!そんなもんスか?」
「縫い上げるスピードを職人レベルに上げるのは3年くらいかかるけどよ~、ちょっと覚えて丁寧に縫えばできるやろ」
その言葉を聞いて、早速ロックミシンを買いに走ったのだ。
カット&ソー製品を作るに必要な基本的ミシン構成は、オーバーロック(環縫い)、本縫い、2本針(環縫い)の3種類あれば、結構な種類のものが作れる。
こうして僕はすっかりTシャツ作りにハマっていった。
枚数を重ねるうちに、どの部分の角度を変えたらシルエットがどう変わるかなども感覚的に捕らえるようになり、その疑問点などを社長さんに理論づけしてもらって理解を深めたりと、日に日に精度が上がっていったんじゃないかと思う。(たぶん)

ここで根本的な疑問が出てきた。
「で、製品にするにはどうしたもんだろ?」
その問いに対して社長さんの答え。
「縫いあがったものをプレスして、襟ネームと品質表示をつけて袋に入れれば製品だね。後は売ってくれる店かな~」
品質表示か~。その当時は品質表示につける製造元にはメーカーコードがついていて、そのメーカーコードを取得するのが面倒だったわけよ。それにしてもそんなに簡単に言っちゃっていいのかな?

その頃から、プレスの人が足りないということで、僕はプレスをするようになった。パートのおばちゃんに囲まれて、朝から晩までプレス、プレス、プレス。素人が一日に200枚とかTシャツをプレスすると、腕も腰も足もガクガクなのだ。そんなのが約2ヶ月つづく。
ひたすらプレスをしていると、おばちゃんの芸能ネタもたいがい上の空で他ごとをいっぱい考えるのだ。プレスというのは製造工程ではほぼ最終段階の作業で、いよいよ製品として出て行く服を触る。つまり、モノだけならこれで製品なんだな~と。

そんな頃、何気に取引先との会話からある事を知った。それは品質表示の規制が変わって、それまでのメーカーコード表記から社名と電話番号の表記があればOKになったって、実はそれってとっても"しめしめ"な話で、ならば品質表示もすぐ作れるじゃん!ということなのだ。ムフフ。

つづく

「僕らは夢で飯を食う」という本はもう売ってないと思ったら、アマゾンにまだあるんですね。
一応貼っておきます。
 
 

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洋服屋の頃

名古屋は昭和区に開店した小さなお店が、コットンウールのスタートです。
今ではすっかりWEB屋として認知され、弊社がアパレルだったことを知らない方も多くなりました。
まぁ、「一つの失敗が終わりではない」ってのを体感できたいい機会だったので、ここに残します。

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