洋服屋の頃

Irinaka Story

最終回 "モーリス&クラフト"

【COD】

10月というのに、ガラガラのお店になってしまいまして、とにかく慌てた。

ウチが取引していたメーカーさんの多くは インディーズ・ブランド と呼ばれる小さなマンションメーカーが多く、10月に在庫いっぱい持ってるところなんかほとんどありません。

仕方がないので、新規仕入れに東奔西走したわけですが、結局「 先銭 」なんですね~。
その頃にはもう資金は底を尽きかけてたわけで、CODで仕入れる体力なんかない状態。

多くの経営者ならここでさらに資金の調達を考えるんでしょうが、 3度目の借り増しするくらいなら廃業したほうが、その後勤めでも借金は返せる!破産は絶対しない! と考えていたので、ちょっと踏みとどまることにしました。

【パンサーの部長】

その直後、一本の電話が店に鳴り響きました。
気を持ち直して出てみると、その時の仕入先で、「wiverntailshop」の頃からずーっとお世話になっている 大阪の(株)パンサーの部長 さんでした。

部長 「元気かい?」

オレ 「はぁ、なんとか・・・」

部長 「なんや、コギちゃんに辞めてもらったらしいな」

オレ 「はぁ、残念なんスが・・・」

部長 「おまえ、 店たため!

オレ 「は? (何をゆーとんねん!このオッサン!)」

部長 「借金なんぼや?」

オレ 「○○○万円ですよ (少々怒り気味)」

部長 「そんなん返せるわ!さっさと店たたんで、とっとと店たたんで 、



ウチの直営店やらへんか?




オレ 「・・・・・・・・・・・・・・・・・は、へ、・・・・??」

実を言うと、最初に「wiverntail shop」を辞めた時にこの部長さん、わざわざ名古屋にやってきて、「 ウチの会社に入れ! 」と声を掛けていただいたことがあり、その時は大阪に住むのがイヤだったので、断った経緯があるのだ。
(大阪がイヤというわけではなく、ボクは名古屋に居たいのよ!)

部長 「○○○万円やったら、勤めで返せるやろ!もう 店閉め~!」

オレ 「大阪かぁ~」

部長 「森くんが大阪イヤなのは知ってるわい、 名古屋店や!

オレ 「なんか、話ができすぎてません?」

部長 「オレはこのタイミングを見計らっとったんじゃい! 考えとけ明日までに

まさかの展開に半信半疑で電話を切ったが、ホンマかな。

【モーリス&クラフト】

はい!店たたみましょう! いくら考えても仕方がない。

根性と経済は別物だ!
根性でなんとかしようとしてバンザイした人を何人も見てきた経験上、 全ては結果 なのよ、残念ながら。

部長さんも物分りのスゴイいい人で、
「今のコットンウールのホームページのお客さんは、続投でやればいいからな!森くんが断ったらみんな困るやろ!」と 有限会社コットンウールのWEB制作の存続とモーリス&クラフトの契約社員との並行活動 を認めてくれました。感謝!

こうして、コットンウールの店舗は閉店することになったのです。

【閉店パーティ】

さすがに寂しいね。青雲の志も結果が出せずか。

不幸中の幸いが「モーリス&クラフト」。
契約店長として抜擢されたおかげで、また力を発揮する場所もできたし、無事借金も返せそうだし、しかも(株)パンサーは 丸紅グループ だったので、しっかり結果を出せば人生安定しそうだし。。。

複雑な気持ちはあるが、 SADEの「Lovers Rock」 が発売される頃、閉店を迎えた。

その夜は「BT CAFE」で馴染みのお客さん、雑貨屋の「ZAC PAC」のみんなたちと閉店パーティをしました。

まぁ、次がある話でしたので、そこそこ明るい雰囲気で飲みましたね。

ナーキさんや関係者の方達も駆けつけてくれて、ホント感謝です。

これで、 いりなかの「コットンウール」は終了 しました。

【まだ、めでたしめでたしではなく】

書くとまた長くなるので、簡素化しますが、モーリス&クラフトに勤めて1年半、ちょうど借金が完済した頃、 (株)パンサーが廃業 ということになりました。
丸紅の子会社だったパンサーの廃業はさらに多くの人間模様を勉強させられることになったね~。本社の人と連携を取ってそこでも数ページ書けるほどの出来事があったわけですが、 結果は結果

こうして、細々と並行して活動していたコットンウールが WEB制作業務として再び活発化 になることになったのです。



う~ん・・・
めでたし、めでたしかな・・・



 
 

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洋服屋の頃

名古屋は昭和区に開店した小さなお店が、コットンウールのスタートです。
今ではすっかりWEB屋として認知され、弊社がアパレルだったことを知らない方も多くなりました。
まぁ、「一つの失敗が終わりではない」ってのを体感できたいい機会だったので、ここに残します。

インデックス

当時紹介された雑誌

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